九月の(軽音部)は、年に一度だけ(忙しい)。十月の(文化祭)で、体育館の舞台を四十分もらえる。三年生が引退したので、今年の(出番)は二年生の私たちだ。(部員)は六人。ギターが二人、ベースが一人、ドラムが一人、鍵盤が一人、そして歌が私。(合唱団)のように声を揃える練習はしない。(日課)は、放課後に四十分の音合わせだけだ。
八月の(終わり)に、(転入生)が入ってきた。エレナという名前で、ニュージーランドから(来た)。二年の教室で自己紹介をして、その日の放課後に部室の(扉)を(叩いた)。「ギター、弾けます」と言って、アンプの前に座った。(親しみやすさ)のある人で、人の名前を(覚える)のが早い。ただ、本人は(忘れっぽい)と言って、部員にからかわれていた。
彼女の(最初)の一曲で、部室が(静かになった)。正確に言うと、(構成)が(見事)だった。音が速いわけではないのに、どこで休むかが(はっきりしている)。顧問の小森先生が(廊下)から覗いて、「それ、誰の曲」と聞いた。エレナは「自分で作った」と答えて、少し顔を赤らめた。(壮大)な曲ではないのに、最後の四小節で部屋の空気が変わる。
文化祭の曲を決める(会議)は、九月の第一(週)にやった。四十分で五曲。四曲は(いつも)やる曲で、残りの一曲が(問題)だった。部長の川西が、「エレナの曲をやろう」と言った。全員が賛成した。(特に)反対する理由もない。(限られた)時間の中で、新しい曲は一つが(限度)だ。
ところが、一つだけ(引っかかる)ことがあった。(歌詞)が英語だ。エレナの書いた歌詞は、十六行ある。(情熱)のある詩で、エレナ自身が「(詩人)のつもりはない」と言いながら、言葉の選び方は丁寧だった。(小説家)が書く文章のように説明的ではなく、(語り手)が一人だけ立っている。
問題は、(聞く側)だ。文化祭の(客)は、(近所)の人と小学生と保護者だ。英語の歌詞を四分間聞いて、(半分)も伝わらない。部長が「(翻訳)をプログラムに載せよう」と言ったけれど、プログラムは白黒の小冊子で、(字)が小さい。暗い体育館では読めない。
「幕に出そう」と私が言った。舞台の(後ろ)の幕に、歌詞を映す。(文字)だけを、一行ずつ。英語と日本語を上下に並べる。視覚的に見せたほうが、暗い体育館では(伝わる)。
部長は、(その場)では乗らなかった。「(手間)がかかりすぎる。(一語ずつ)定義するような作業だよ」と言った。言い方にとげはなく、ただ(現実)の話だった。実行委員会に(申請)して、機械を借りて、文字を作って、順番を合わせる。(準備)が多いし、(疲れさせる)仕事になる。
「十六行だけです」と私は言った。部長が反対するのは(分かっていた)ので、先に(作っておいた)。それから、(昼休み)に仕上げた紙を(机)の上に置いた。十六行の英語と、十六行の日本語が並んでいる。訳は、エレナと二人で三日かけて作ったものだ。(概要)を先に決めてから、一行ずつ詰めた。
部室が(一瞬)静かになった。(ドラム)の(子)が「もう訳してたの」と言って、紙を(取り上げて)(読み始めた)。部長は紙を見つめて、少し黙った。それから、「さっきの言い方は(撤回する)。これ、もう(できてる)じゃないか」と言った。「申請は僕がやる。機械も僕が借りてくる」。
訳を作る作業は、(面白かった)。エレナは、日本語の言い換えを一つずつ聞いてきた。(熱意)のある聞き方で、同じ(行)を三度言い直させることもあった。「この行、ことわざみたいにしたい」。英語の原文には(慣用句)が一つ入っていて、そのまま訳すと(意味)が消える。私たちは図書室で辞書を四冊(開いて)、(似た)意味のことわざを探した。
(見つけた)のは、「急がば回れ」だった。(完全に)同じではないけれど、(歌)の中の位置が合う。エレナは「これにする」と即座に(決めた)。(解釈)を一つに決めてしまう潔さがある。区別のつかない(案)を二つ残さないのが、この人の進め方だ。
三行目で、私たちは(止まった)。原文に、(古い)(時代)の(寺)の鐘が出てくる。エレナは、国にいたとき(歴史)に関する本をよく読んでいて、曲の(題材)もそこから拾うらしい。王朝や(僧)の(暮らし)を調べるのが好きで、鐘の出てくる詩も何度か書いている。「あの鐘の音を、日本語でどう書くの」と聞かれて、私は答えられなかった。
小森先生が、(図書室)の(郷土)の(本)を出してくれた。この町の寺の鐘の記録が、三ページだけ載っている。(歴史的)に重要な鐘で、(碑文)の写真もついていた。神聖なものとして扱われてきて、今も大晦日に鳴る。(田舎)の寺なのに、記録は(細かい)。
結局、三行目は「大晦日の鐘」にした。エレナは「それでいい。原文より(具体的)」と言って、(大喜びした)。(特定の)寺の名前は、歌には入れないことにした。原文を(書き直す)ことを、彼女は少しも嫌がらない。(文学)の授業でも、話を言い直す(練習)をしていたそうだ。
文字を作る(作業)は、二週間かかった。十六行を二つの(言葉)で、(同じ)大きさに揃える。日本語のほうが短くなるので、改行の位置を(変えた)。複雑にしないほうがいいと小森先生が言って、文字の太さも(調整して)くれた。機械を台に(置いた)。幕は、体育館の裏にあった古い布を洗って、(円形)の枠に張って使った。
文化祭の(当日)、体育館は暗かった。四(曲)目が(終わって)、エレナの曲になった。(幕)に、一行目が出た。英語が上、日本語が下。私が歌い出すと、客席の前の方にいた小学生が、幕を(指して)何か言った。(完璧な)演奏ではなかったけれど、四分間、客席の視線は幕に集まっていた。
四分間、誰も立たなかった。終わったあと、(拍手)が三十秒(続いた)。おじぎをしたとき、エレナは幕のほうを振り返っていた。私は(手首)の(汗)をシャツで拭った。(予想外)に緊張していたらしい。十六行のうち、一か所だけ歌詞を詰まらせた。(不注意)だったのではなく、客席に(目を奪われた)せいだ。
舞台を(降りてから)、(部長)が「来年もやる」と言った。興味深いことに、言い出したのは一番(反対していた)人だ。小森先生は、幕に文字を出す(方法)を他の部にも(教える)と言った。演劇部と、トランペットのいる吹奏楽部が興味を(示した)らしい。
今、部室の(壁)には、十六行の紙が貼ってある。(英語)と日本語が上下に並んだままだ。エレナは、(ときどき)その前に立って、三行目のところを(指でなぞる)。私は、鍵盤の(横)に(座って)、それを見ている。歌詞を二つの言葉で並べることに、もう慣れている。来年の一曲は、まだ何もない。(くつろげる)時間が、しばらく続く。