入社して一年目の五月、うちの課に(新しい)(人)が入った。ダニエルという名前で、オーストラリアから(来た)。四月ではなく途中からの(採用)で、(履歴書)を見た課長が「要件を(全部)(満たしている)」と言ったらしい。配属の案内が掲示板に出た朝、私は自分の名前の下に彼の名前が並んでいるのを見つけた。
課の名前は、資材管理課という。会社の(組織)の中では地味な(部門)で、仕事は(分配)の手配と在庫の確認が中心だ。製造する側ではないので、(進捗)の表を毎朝(更新)するのが一日の始まりになる。十二人いて、課長が一人、私の(上司)が一人、あとは全員が同じ(階)に机を並べている。私は一年目なので、いちばん端の席だった。
初日の(紹介)は、(朝礼)の三分だけだった。ダニエルは前の会社で(提携関係)の管理を専門としていて、(契約書)を読むのが速い。(社長)が年に一度出す宣言文も、その日の昼には全部読み終えていた。
ダニエルの(席)は、私のとなりになった。初日に(名刺)の登録を手伝った。社内の書式では、名前を片仮名で書く(欄)と、英語の綴りを書く欄が(別に)ある。(身分証)の綴りと揃えるのが(決まり)だ。彼の(名字)は読み方が二つあって、どちらでも間違いではないという。「どっちでもいいよ」と彼は言った。
ところが、その「どっちでもいい」が二週間で面倒を(生んだ)。(電話)の取り次ぎで、三人が三つの読み方をしていた。(取引先)から確認の連絡が来て、「そういう名前の方はいらっしゃいますか」と聞かれたこともある。彼は(気にして)いなかったけれど、私は少し(不公平)だと思った。訂正の連絡を入れるのは、いつも電話を受けた人だ。(禁止された)(行為)でもないのに、誰かが毎回(謝っている)。
朝礼のあと、私は上司に(相談した)。上司は資料をめくりながら、「(新人)がそういう(提案)をするのは(早い)よ」と言った。悪意ではなく、順番の話だ。確認の(手順)を変えるには課長の承認が必要で、新人が課長に(直接)話すのは手順の外になる。威厳のある言い方だったので、私はいったん引いた。
その(直後)、上司の机の電話が(鳴った)。取引先からの問い合わせで、相手はダニエルの名字を英語の音で言っていた。上司は(受話器)を(押さえて)、課の中を(見回した)。「そういう名前の人、うちにいたか」。
私は立って、となりの席を指した。「います。この人です。読み方を一つに統一する提案を、(今日)(出します)」。上司は三秒だけ黙って、それから電話を回した。(切った)あと、(はっきりした)声で言った。「さっき言ったことは(取り消す)。これは早い話じゃない。君が出してくれ」。
「じゃあ、提案書を出します」と私は言った。上司は「(明日)の朝までに」と答えて、資料の(束)を脇へ寄せた。先へ(進める)気になったらしい。
その(夜)、私は紙を一枚だけ書いた。内容は三つ。読み方を一つに決める。それを掲示板に(貼る)。電話を受ける人(全員)に知らせる。(根拠)の欄には、二週間で五回の取り違えがあったことを書いた。(分析)というほどのものではなく、数えただけだ。(正当化する)言葉は一つも入れなかった。先延ばしにしても良くならない種類の(問題)だと思った。
(翌朝)、上司の机に置いた。上司は三分で読んで、「これ、(コピー)を課長に回す」と(言った)。それから、紙の端に自分の(名前)を書き足した。「二人の提案にしておく。そのほうが通る」。
その日の昼、私は(承認)を待たずに、課の小さな(掲示板)に試しの(紙)を一枚貼った。読み方を片仮名で一行だけ(書いた)ものだ。午後になると、電話を(受けた)三人が、三人とも同じ読み方で取り次いだ。
課長の承認は、その日の(夕方)に下りた。意外なことに、課長はもっと(広い)話をした。「資材管理課だけじゃなく、全社の(内部)の(掲示)に載せよう。この一年で、海外から来た(社員)が九人入っている」。(会議室)で三分だけ説明する(機会)も与えられた。課長が会議の時間を少し割いてくれた。
そこから、仕事が少し(増えた)。人事の担当者と(一緒に)、九人分の読み方を(確認する)作業になった。一人ずつ、本人に(希望)を聞いた。片仮名で一つ、綴りで一つ。(選ぶ)基準は本人の希望だけにして、こちらは何も決めない。希望を制限しないことだけ、(確実にした)。市民権や(国籍)の話にはしない、とも決めていた。
九人のうち、二人は「日本語の(呼びやすい)形でいい」と答え、一人は名前の短い形を希望した。(回答)の一部は(ファックス)で届いた。(交代勤務)やパートタイムの人は机にいないので、紙のほうが(早い)。揃えようとしないほうが(効率のよい)進め方で、意見の不一致は出なかった。(決める)人を本人にしたからだと思う。
ダニエルは、その作業を(手伝ってくれた)。彼は前の(会社)で、(同じ)問題を(経験していた)。「向こうでは、机の名札に音を書いてた。それが一番早い」と言った。確かに、掲示より名札のほうが目に入る。指導されたわけでもないのに、彼はすぐ図解を描いて(見せた)。(勤勉な)人だ。
名札の手配には、少しの交渉が(必要だった)。(備品)の担当の人が「標準的な名札しか在庫がない」と言ったので、(旧型)を(倉庫)から出してもらえないか頼んだ。担当の人は(在庫表)を確認し、「十四枚ある。使っていいよ」と認めてくれた。援助を頼むのに、こんなに手間がかからないとは思わなかった。人事の担当者とも、そこで一つ(合意)ができた。
名札を(作った)のは、金曜の夕方だ。ダニエルと二人で、九人分の片仮名を印刷して(貼った)。彼は手際のよい人で、九枚を部門ごとに(分類して)並べ替えた。
月曜の朝、九人の机に名札が立った。効果は、その日のうちに(出た)。電話の取り次ぎの(間違い)が、一週間でゼロになった。大きな(改善)ではないけれど、確かに(変わった)。(実際には)、名札を立てた日から誰も間違えていない。
二か月後、人事の担当者から連絡が来た。来年度の新入社員の案内に、名前の(欄)の(書き方)を入れるという。私が書いた紙が、その土台になったらしい。来年度の(取り組み)の一つに(入る)と言われた。
ダニエルは、その(話)を聞いて「君の仕事だね」と言った。私は「あなたの名前が(元)だから」と(答えた)。彼は首を振って、「困っていたのは僕だけど、(数えた)のは君だ」と言った。
(今)、私の机のとなりには、彼の名札が(立っている)。片仮名の下に、(小さく)(英語)の綴りがある。彼は(ときどき)自分の名札を(指)で回して、(まっすぐに)(戻す)。私は在庫の(表)を開きながら、その(音)を聞いている。(チーム仲間)の名前を正しく(呼ぶ)のは、(たぶん)いちばん小さな任務だ。