六月の第一日曜は、学校で(模試)がある。朝の九時から始まって、英語の読解が終わったのは夕方の四時過ぎだった。教室を出るとき、僕は(へとへと)で、階段を下りる足が少し重かった。
帰り道、同じクラスの大野が「自己採点、一緒にやらない?」と言った。駅の近くの公民館に、夜九時まで(使える)学習室がある。大野は吹奏楽部で、引退の演奏会までまだ一か月あるのに、勉強の約束は必ず守る。(信頼できる)友だちだ。
大野とは一年のときから同じクラスで、勉強に関しては、僕よりずっと(粘り強い)。本人は少しも(自慢)しないけれど、英語の(点)はいつも僕より上だった。
学習室には、僕たちのほかに大人が一人いるだけだった。窓の外が暗くなって、机のスタンドの柔らかな光が手元に落ちる。僕たちは解答の冊子を広げて、問題冊子に書いた自分の答えと、一問ずつ照らし合わせていった。
前半は、(驚くほど)順調だった。第1問から第4問までは、去年の模試より(かなり)点が(上がっている)。この点から推定すると、志望校の判定も一つ上がりそうだった。
大野も「いいじゃん」と言って、僕の冊子をのぞいた。少しだけ、(期待)がふくらんだ。わくわくしながら、僕は第5問のページをめくった。
第5問で、それが止まった。(物語文)の問題だ。五問のうち、当たっていたのは一問だけだった。赤ペンのばつが、ページの上にいくつも並ぶ。僕は赤ペンを机に(置く)。(ばかげた)ミスをしたわけではない、という確信だけはあった。どの答えも、(ちゃんと)考えて選んだはずだった。
「物語文、苦手だっけ」と大野が聞いた。「いや、むしろ好きなほう」と僕は答えた。好きな問題で点が取れないのが、いちばん(落ち込んだ)。(理論上は)、本文を読めば答えは一つに決まる。それなのに、僕の答えは毎回、正解と(微妙に)ずれていた。
大野はしばらく黙って解説を読んでいた。それから、僕の問題冊子を引き寄せた。「一問ずつ、なんでそれを(選んだか)言ってみて。からかうつもりはないから」。僕は一瞬、気を悪くしかけた。でも、大野の顔は(真剣)で、言い方にも(丁寧さ)があった。
問1は、主人公の少女が祖父の畑を手伝う場面だった。「このとき少女が感じていたこととして、最も適当なものを選べ」。僕は「祖父への(感謝)」を選んでいた。正解は「作業に飽きてきた気持ち」だった。四つの選択肢は、どれも全く(異なる)気持ちを(並べていた)。
「なんで感謝?」と大野が聞く。「だって、手伝ってるんだから。普通は感謝するでしょ」。言いながら、自分でも少し(おかしい)と思った。(実際は)、手伝いが好きな子ばかりではない。大野は本文の一行を(指)でたたいた。「ここ。少女は三回、時計を見てる」。
確かに書いてあった。三回も。僕はそこを読んでいたのに、答えを選ぶときには、(まったく)眼中にない一行だった。物語のいい場面で、いい気持ちになれる答えを、僕は(本能で)選んでいたのだ。それが、僕の変わった癖だった。
問2も、問3も、同じだった。僕は登場人物の(感情)を、自分の気持ちと区別しないまま選んでいた。本文に書いてあることより、自分ならこう感じる、という方を信じていた。その結果、正解と少しずつずれる。
「大野は、どうやって選んでるの」と聞くと、大野は自分の冊子を見せた。本文のあちこちに、(数え切れないほど)短い線が引いてある。(注目すべき)なのは、選択肢の横の小さな数字だった。本文の何行目に(根拠)があるか、という番号だ。
「(基本的に)、線を引けない答えは選ばない。どんなにいい答えに見えても」。大野は(控えめな)声で言った。「部活でも(同じ)なんだ。楽譜に書いてないことは、勝手にやらない。強く吹きたくても、書いてなければ(抑える)」。
吹奏楽の話が出てくるとは思わなかった。でも、楽譜に忠実に吹くことと、本文に忠実に読むことは、たしかによく似ている。コンクールで勝つのは、楽譜をいちばん正確に読んだ学校だ、と大野は言った。気持ちを込めるのは、書いてあることを全部拾ってからでいい。
僕たちは第5問を、最初からもう一度解いた。まず第一に、選ぶ前に必ず本文に線を引く。線が引けたら、その行の番号を選択肢の横に書く。番号が書けない選択肢は、どんなに(魅力)があっても(消す)。大野は、それがいちばん(効果的な)やり方だと言う。
僕は線を引くことに没頭して、時計を見るのを忘れていた。大野は自分の答え合わせを終えて、「待つよ」と言ったきり、黙って単語帳を開いていた。
三十分かかった。本番よりずっと時間がかかっている。それでも、五問のうち四問が正解と同じになった。(残り)の一問は、線を引いた場所がずれていた。間違えた理由が、今度ははっきり見える。同じ間違いを本番で繰り返すことは、もう考えられなかった。
「理由が分かったのは、点より大きい成果だと思う」と大野は言った。(過度に)ほめるわけでもなく、事実を言うような口調だった。それが、僕にはいちばん励みになった。次の模試を受ける(勇気)が、少し(わいた)。
そのあと、大野は自分の弱点も見せてくれた。第6問の、グラフと本文を(組み合わせる)問題だ。「僕は逆で、グラフばかり見て、本文を軽視する。数字が合えば、それでいいと思っちゃう」。今度は僕が、熱心に本文を追って、一文に線を引いて見せた。グラフの数字と、本文の言葉が、一か所だけ(食い違っていた)。
大野は(驚いた)顔をした。それから、(あご)に手を当てた。「僕たち、反対のところで間違えてたんだな」。(必ずしも)、得意な人が苦手な人に教えるだけではない。二人とも、相手の冊子を見て初めて、自分の癖に気づいた。
九時の少し前、係の人が「そろそろ閉めます」と言った。片づけをして外に出ると、僕は六月の夜の湿った空気を深く吸い込んだ。駅までの道で、大野は次の模試の日付を確かめて、「その後も、またここでやろう」と言った。僕は(うなずいた)。
駅に着く前に、大野の携帯のアラームが(鳴り出した)。九時半は、毎晩の英単語の時間だという。同じ時間に同じ単語を繰り返し見るのが、大野のやり方だ。
今、僕の問題冊子の第5問には、鉛筆の短い線がいくつも引いてある。選択肢の横には、小さな行の番号。家の机で、僕は問題集の次の物語文を開き、まず一本目の線を引いている。